中日本炉工業の原点を知る
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突然の倒産、
部下のために会社を創業 - 1964年、先代社長の勤めていた工業炉メーカーが突然倒産した。部下や後輩たちの再就職先が決まらず、未来が見えない状況の中で、面倒を見ようと1965年、先代社長は自ら会社を起こした。自宅の一部を事務所として改装し、清須に間借りした工場も、壁もない質素なところから15人の有志だけでのスタートとなった。
- 従来の炉を小型化し、
幸運をもたらす - 困り果てたなか目をつけたのが、工業専門学校だった。技術者養成のため、各都道府県に工業専門学校を設置することが法律で定められたばかり。「実習には炉が必要になる」と考えた先代社長は、従来の電気炉やガス炉を小型化し、北海道から鹿児島まで全国の工業専門学校に売り歩いた。大は小を兼ねると言うが、少量の部品や金型を熱処理するなら、大型炉より小型炉の方が熱効率も良く、扱いやすい。そう考えた先代社長の狙いは当たり、全国の工業学校から注文が舞い込むようになった。さらに、中日本の評判を聞きつけた大手研究所との取引をきっかけに、技術力は飛躍的に向上した。
- 鯖江のメガネ業者からの
思いがけない注文 -
当初は大手メーカーと同じく、大型の真空炉の開発を検討した。しかし、同じ路線を歩んでも、破綻するのが明らかであった。そんな折、福井県・鯖江のメガネ業者から、思いがけない相談が舞い込んだ。「メガネの金型がちょうど入る小型炉があれば・・・」
当時、大型で高額な電気炉しか世の中には存在せず、資金力の乏しい中小のメガネ業者では、なかなか手に届かなかった。それをきっかけにして、小型真空熱処理炉の開発が始まった。
- 小型炉の
完成~躍進の始まり - 2年の開発期間ののち日本で最初の小型真空熱処理炉は完成した。これを1社だけの特注品とはせず、「NVF-30」というブランドとして標準品として広く売り出した。そして、数多く納入し、小型真空炉の分野でゆるぎない地位を築くことができた。クライアント様のニーズを予測し、高い技術力で応えることこそ、日本の製造業を支える企業としての躍進の原点である。
- 中日本炉工業スピリット
- お客様一人ひとりのご要望にお応えするため、
自分たちで工夫や試行錯誤を重ねて、
「これでいかがでしょうか」と
全力で取り組んだのがはじまり
- そして
- 営業の人も設計の人も現場の人も
臨機応変に対応することが当たり前になっている - 指示をしなくても
柔軟にお客様の期待に沿っていこうとするDNAが
脈々と続いてきて
今の製品づくりに生きている